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美国の思い出 Archive

バンドの思い出 その三

もう一回、このシリーズつづけさせてください。

① http://bonzofire.blog13.fc2.com/blog-entry-1578.html
② http://bonzofire.blog13.fc2.com/blog-entry-1579.html

この文化祭には事前にオーディションがありまして、
この二回目の文化祭には、合計で3つのバンドが応募したんです。

結果、二つのバンドが文化祭で演奏することになるのですが、、すべったもう一つのバンド、、
このバンドのギター弾いてるやつが結構うまくてびっくりしたんです。
もう一つのバンドは、、私が言うのもなんですが、ヘタッぴバンド。
だけど、文化祭には、このバンドが、残ることになるんですが。。

では、なぜ、うまい方のバンドがすべったのか、、なんですが、
これを話すとかなり長くなるので、これは別の機会にでも書きたいとおもいます。

簡単に言うと、
演奏した曲が、ぼくらが演奏した曲とよく似ていて、もう一つのへたっぴバンドは違った、、
もうちょっと複雑に書くと、
、、、 アメリカ、それも南部に位置する州、独特の理由があったと思います。


それでは、なんで今日、ここで、このすべったバンドのことを書いているかというと、
このバンドで、ギターやっているやつ、、についてお話しようかなと思いまして。

このギターやっているやつ、僕の友達だれ一人として、こいつの存在すら、オーディションの時まで知らなかったんです。
結局、このオーディションの後もほとんどしゃべることなく、高校最後の年を終えちゃうので、
名前以外、彼のことは、なぁんにも知らないんですがね。。

で、その彼の名前なんですが、、

TYRONE COTTON

って言うんです。

初めて聞いた時は、(失礼ですが)笑っちゃいましたね。

ます、TYRONEって、きっと黒人にしかない名前だと思うんですよね。

それに、COTTON (綿)、、ですからね。

もうこれ以上「黒人」って名前はないって感じの名前なんですよ。

もちろん、その彼は、「黒人」なんです。


、、、そんなことは今日書きたいことっちゃないんです。 全然。



僕の高校生の仲間の何人かは、、その後音楽を続けてるのが何人かいるわけですが、

なかでも、衝撃的に(楽器が)うまいやつ、、といえば、なんといっても、
http://bonzofire.blog13.fc2.com/blog-entry-1579.html

この記事で紹介した彼http://iriestill.comだったわけですが、、だけど、良い悪いは別として、全米に名前が知れ渡るほど有名になったかというと、、
そうはなっていない、、のが現実です。


しかし、、この、TYRONE COTTON、、は、



http://www.tyronecotton.com

その手(モノホンのブルース系)の音楽では、それなりに有名になったみたいなんですね。

ビデオを見る限り、ギターで有名になったというより、「歌」で一花咲かせたみたいですけれど。

また、90年代の何年かは、日本にも滞在してどこぞやのバンドで音楽やってた、、ってんですから、
びっくり仰天ですよ。 (高校の時、仲良くなっとけばよかった、、、かな?)

ちなみに高校時代にみた彼は、ギターだけだったんで、歌っているのはみたことがないです。




だけど、この世界、、少々楽器がうまいだけじゃ、、どうにもならないですよね。

僕の親戚にも一人、小学校低学年かそこらで、
いきなり楽譜もなしで、耳だけでバッハのソナタとかをおもちゃのピアノで弾き始めたのがいて、
小学生高学年頃には、近くの大学で大学生と一緒にピアノを習い、
高校時代は、全米のその手の才能に恵まれた同年代の学生ばかり集まったキャンプに州から選ばれて参加したり、
大学は、アメリカでも結構名前の通った音楽大学に行ったのですが、
結局、音楽では食って行けない、、ってことで、今はコンピューターのプログラマーにやってるのがいます。

僕は、幸か不幸かそんな才能がなかったので、すぐにアキラメがつきましたが、
微妙に才能があった人って。。 
って、そんなこといいつつ、もし、今の身分とその才能が交換できるのであれば、
僕もきっと、「その才能」を選ぶとおもうんですがね。









バンドの思い出 その二

当初の目論みが見事に外れた、初めての文化祭。。。

その一年後の文化祭、、
前のPeter Framptonの記事でも紹介させてもらった、あの「彼」もバンドに加わったことで、、
ビジュアル的にたいしたことがなくても、、、とにかく音楽的に、ぎゃふんって言わせてやろう、、ってことで、
前年女の子に臨時的にお願いしたボーカルもやめて、ぼくらの好きな音楽をやりましょうってことになったわけです。

前年人気をさらったバンドは、その中の二人が前年卒業してしまい、この年は参加することができず。

しめしめ、、であります。

で、ここで僕たちが選んだ曲がこちら。

一曲目は、ジミヘンの "Voodoo Chile"。 ソロは前半が僕で、後半は彼にわけたかな。
その「彼」、「思い切りジャムるんで、無茶するかもしれないから、そんときはそんときで!」だって。
本番では、規則通りにしか弾けないぼくらのことを思ってか、きちんと当初の予定通り弾いてくれましたけれどね。
 


二曲目はこちら。
なんと、日本の高中正義の”黒船”って曲。
ちょうど、その前の夏休みに日本に帰っていて、たくさん日本の音楽をカセットテープに録音していたんですが、
その中から一曲選びました。 
一曲目のジミヘンが、「こいつら薬とかやってんじゃねぇ〜か?」ってな曲だったので、
この曲だったら、覚えやすいメロディーだし、ショーを見に来ている生徒の両親にも受けが良いかなって感じで。



この曲のソロは僕が弾くということで、
僕は、この曲のギターソロを一音一音コピーしようと練習していたんですけれど、
ギター激ウマの彼から、「そんなのコピーするほどのもんじゃないだろ、、がーんって好きなようにやっちゃえよ」って、
笑われてましたね。。。 (オレはお前みたいに弾けないのわかってんだろうが。。)

この日本で集めてきたカセットテープの音楽は、この他にもいろいろ面白いエピソードがありまして、、
そうですね、その「ギター激ウマの彼」曰く、、 高中正義については、
「なにこれ、日本のサンタナかよ?」って、げらげら笑っていました。
また、日本人である僕が聞いていると、あんまり感じないんですが、
メロディーや楽器の使い方に、ゲージンにとっては、たまらなく面白いところがあるみたいで、
よくその面白いところだけをコピーしたりして、友達から、からかわれていました。

ところで、、、この「ギター激ウマの彼」、
この文化祭では、ぼくらのバンドだけでなく、

彼一人のソロで、 Steve Howe の "Mood for a Day"を弾いて、


そして、何人か他の人のパフォーマンスが終わったあとに、もう一曲、
この、Neil Young の"The Bridge"って曲を、この頃弾き始めたピアノで弾き語りをやったんです。



全部で15組くらいの芸があったのですが、この文化祭、その内の三つは、
「彼」の演奏、、、 だれが見ても、「彼」のための文化祭になってしまい、、

僕(と、その他のバンドのメンバー)は、、と言いますと、
その「彼」のため引き立て役になっただけ。。。。 とほほほ。


しかし、この彼、、、本当にギター激ウマで、
初めて会った時に弾いてくれた曲で、こんなのがありました。。



アメリカでもほとんどの人が知っていない、Dixie DregsのSteve Morseってバンドの曲で、
僕も、この時初めて、そのバンドのことを知ったわけですが、、
こんな曲を、高校2年のガキが、それなりに弾いちゃうんですから、、ぶったまげますよ。
僕なんて、初めの部分ですら、、、いくら練習しても、弾けずじまい。

で、なにが面白いか、、といいますとですね、
彼、この頃からバリバリにSteve Morseってギタリストが好きだったわけですが、
その当時は、Steve Morseを生でもビデオでも見る事なんてできないわけです。(MTVにでてくる音楽でもないですし)
しかし、日本に帰ってきてから、ビデオでSteve Morseを見た時は驚きましたね。
なにが、、、というと、僕の友達のギターの弾き方が、、まったく、このSteve Morseと同じなんですよ。
ピックを指で上下に振るんじゃなくて、ピックは指で固定して、手首や腕そのものを振る弾き方、、
きっとこんな風に弾かないと、Steve Morseのような、スピードや、弦に対するタッチができなんでしょうが、
彼は、そんなことまで、その当時ですら気付いていたんですかね。

この彼とは、僕が大学を卒業すて日本に帰国後も何年間くらいは文通してたんですけれど、、
その後ご無沙汰になり、、
日本に帰国してから10年たって初めて、アメリカに帰った時、
もうその頃、彼はコロラドに引っ越した後で会えずじまい、、、
別の友達から、彼のバンドのCDをもらったんですが、、あぁやはり、音楽で飯食ってんだなぁ〜って。

その後も幾度も、このバンドや彼をネットで探したりしたんですが、たどりつくことができず。


しっかし〜、、 今週末、見つけちゃったんですよ〜

http://iriestill.com

なんと、レゲエのバンドでがんばってるじゃないですか。。

歳はとったけれど、、  まだ、体型とかルックスは維持しているようで。。
だけど、おやじとそっくりじゃん!


それに、、、レゲエ???


彼が出ているビデオも見つけました。 5:10くらいのところだけですけれどね。



やっぱり、なんでこのバンドなんや〜〜





建築設計家になりたかった その三

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「心の窓」の次は、
ただ、一つ理解してもらいたいのは、その時の背景。
時は80年代半ば、場所は米中南部の州、考え方はまだまだ保守的。
白人と黒人のカップルが一緒に歩く、、なんてのも珍しい地域。
MTVがスタートして、まだ2、3年、Wham!とかCulture Club、Duran Duranとかは、テレビの中の世界。
そんな感じなので、ちょっとだけ前衛的、、なものでも、
それを目の前に実際に見る、、のは、かなり構刺激的だった、、時代だったんですね。

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話を元に戻しまして、、自分のスタジオに戻って、何のクラスかは、忘れたんですが、
そこで出された一番始めの課題が、、
「キミタチのセンスを確かめたいので、来週末までに、素材はなんでもにいので、人間のモデルを作ってきて」
もしかしたら、課題の詳細をぼくがきちんと理解できてなかったのか、聞き漏らしたのか、わからないんですが、
普通、頭の固い人間(僕)が、こんな宿題を出されて考えること、、と言うと、
粘土とかで人間のモデルを作る、、だと思うんですね。。 少なくとも、僕はそう思ったんです。
(同時に面倒だなぁ〜とも。)
ただ、やはり(日本人なので?)、他の生徒が何をやっているのか、って気になるじゃないですが、
とりあえず、自分がとりかかる前に、ちょっと様子を見てみましょうと。。

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そして翌日〜
ここでまたびっくり。。

ぼくが覚えているのは、
ぐねっと曲がった鉄筋をたてて、そこに、落ち葉とか、小枝とか、貼付けていてた作品。

もうひとつは、綿をボール状にして、それに色々な色を塗って、それを、人間の形にしたもの。
(単なる色のついた雪だるまやんけ〜)

何これ〜??  こんなガラクタ、、 作成するの2、3時間もあれば大丈夫じゃん〜、、、
と思いつつ、作ったやつに話を聞けば、
この鉄筋は、人間のなんとかをさしていて、これはあれで、、、うんたら、、と
なんだか訳のわからん(とにかく、あの頃の僕には、まったく理解できない、というか受けいることのできない)説明が。

いや、もしかしたら、僕が宿題の主旨を理解していなかっただけなのか、、

にしても、とにかく何か作って、出鱈目でもいいので、それなりの理由をつけ(相手を説得す)ることができれば、
それでいいのか、、

そもそも、これが「出鱈目」と考えてしまう自分は、この世界の(少なくともこの学校)の人間ではないのかも〜

オレはこんなんじゃなくて、家とか建物とかの設計をしたいんじゃ〜  

一体いつになったら、、というか、、 全く製図とかするような学校に見えないんだけれど、、

というわけで、最初の宿題にとりかかるべきなのか、どうなのか、、
まあ、そんなことで迷うこと自体、もうこの学校にはいたくない、、って気分が勝っていたわけですね。




建築設計家になりたかった その二

では、建築設計家になるのをやめた経緯。

前ネタでは二週間でやめた、、と書きましたが、実際は一週間ちょいでやめちゃったはずで、
まあ、それはそれは衝撃的な一週間だったと思います。

話は長くなりますが、、今の一週間、、なんて、(朝起きて、会社行って、帰ってきて、風呂はいって)*5
ですが、、あの時の一週間の濃さ、、今で言うと、ゆうに二年間くらいの内容があったんじゃないかな、、と思いますね。



というのも、まず、はじめての大学生活でしょ。
そして寮に入って、ルームメイトと初対面。 また、隣の人たちとも顔合わせ。
寮のルールを教わって、たとえば、食事カードとかの使い方なんてのも教わって。。
そして、自分の時間割づくり、、といっても、建築設計部で取得しなければいけないクラスが決まっているので、
これに関しては、大学に来た直後はそれほどたいしたことはなかったんですけれどね。

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と、前話が長くなったのですが、
大学に到着した翌日なのか翌々日なのかは忘れましたが、初めての僕の学部に行ったわけです。

ここで、第一のびっくり。 学部の部屋がぼろぼろ。

そして教授が、
「ここがあなた達のスタジオです。  
この部屋で、キミタチは5年間(建築設計は5年のプログラム)のほとんどを過ごすことになります。
ほとんど、、というのは、寝泊まりも含めて、、ということ(になると思う)ので、
キミタチが快適に過ごせるよう、自分たちに都合のいいよう模様替えしてもいいよ」

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まあ、今となっては、なにがそんなにボロだったのか、、ってのも覚えていないんですが、
とにかく、なんで、わざわざ大学にまではいって、こんな廃墟のような薄汚い部屋で5年も過ごさなければ
いけないんだ、、なんて思ったことはよく覚えています。
(ちなみに、この部屋は、僕らが入学する前の年に卒業した生徒が5年間スタジオとして使っていた部屋で、
彼らが、使っていた道具とか、備品などが、別部屋に山のように積まれていて、使いたい物があれば、取り放題でした)

だけど、本当にびっくりしたのは、ボロい部屋じゃあありません。

翌日、ぼくがこのスタジオに戻ってくると、もう何人かの生徒が、、
その自分の机(とその周り)を快適な空間にするべく、いろんなことをやりはじめてるんですね。。

たとえば、ペンキをもってきて机に(かなり奇抜な)色を塗ってたり、、
大工の得意なのは、横になれるよう、細長いベンチや棚を作っていたり、、

しかし、、強烈だったのは、ぼくの後ろの机を確保したやつ。

これはいまでもよく覚えているんですが、

どこかで、窓のフレーム(外枠)を拾ってきて、彼の机の前に位置するところにぶらさげてるんですよ。

「これは、僕の心の窓なんだ、、 だから、僕に話すときは、かならずこの窓を通して話しかけて、、」だって。


これには、僕もかなりびっくりしましたね。


ここは、、僕が想像していたようなところではないかもしれない、、、、 と。

建築設計家になりたかった

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その大昔、僕は建築設計家になりたくて、大学に入学したんですが、
入学してからわずか二週間で建築設計をやめちゃったんです。
なぜ二週間?というと、違うクラスに鞍替えできる期限が二週間だったから。。
建築設計科は、他の科と違って、かなり専門的なクラスが多かったので、
もし、その後、専攻を変更したら、その学期の単位がまるまる無駄になってしまうからであります。

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建築設計家、、人に自慢できるほど素晴らしい理由があるわけじゃないんですが、
高校二年生(向こうは4年制)くらいから、友達のお家とか、
建物を見るのが好きになった、、程度の理由なんですけれどね。

だけど、入部して二週間足らずで、スパって辞めちゃったんです。

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極論すれば、「理想と現実」は違ったから、、ですが、
、、にしても、二週間で結論づける、、は短すぎる期間だったと思いますね。


ここまでは、、 前にも同じようなことを書いたことがあると記憶しているのですが、
だけど、「何」でそうなったのか、、 は、まだ書いたことがないと思うので、、
忘れる前に、、書き残しておくことにしました。


だけど、今日は書きませんけれどね。 (風呂入って寝たいし。。)


ちなみに、米の大学に留学している友達の娘さんが、冬休みの間日本に帰省していたのですが、
この女の子は、大学で建築設計家になるための勉強しているんです。
先週末、一緒に食事する機会があったのですが、話している際に自分の過去の事なんて思い出しちゃいました。



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