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2006年04月 Archive

TV Dinner


荒外州の学校で友達ができたのは、通学を始めて1,2週間後だっただろうか。

黒い髪をした、下唇がやけにでかい、男の子がにやにやしながら話しかけてきて、キャンディを差し出してきた。


やけにモホっぽいしゃべり方をする奴で、正直気持ちが悪いやつだな、、、ってのが第一印象なんだけれど、小学校6年生である。 キャンディの誘惑に勝つことができず、すぐに彼の軍門に降ってしまった。

こいつ、やたら、沢山のキャンディを持っているのである。


休みの時間になる度に、みんな(特に女の子)が彼にキャンディをくれって集まってくる。


ぼくが一番初めにもらったのは、キャラメルだった。

日本でキャラメルといえば、森永のキャラメルというか、四角い茶色の物しかなかった(25年前ね)のだが、このキャラメルは、緑色とか、オレンジ色をしてて、食べてみると果物の味がした。

日本でも売ってるのかは知らないけれど、

STARBURSTとかいうキャラメルだったと思う。
確か4-5種類くらいの違う味のものがあり、結構美味しかった。

話がかなり脱線してしまった。


奴の名前はLyleっと言って、これまた、僕にとってはきちんと発音しにくい名前であったのだが、
お互い何を言ってるのかよくわからないまま、キャンディのせいもあり彼とすぐに仲良くなった。


しかし、この彼こそが、僕が美国でその後10年間暮らせることを可能にしてくれた大恩人となるのである。(もちろん、その時は、夢にまでも想像してなかったんだけれど)



彼は昼食時にぼくの手をとり、何かを言い出した。

と、ともに、食堂から離れて、外に出て、ついには、学校の外に歩きだした。


さすがの僕も驚いて、まさか、おれは不良の仲間入りか、、、と思ったりしたのだが、

彼は、にこにこ笑って「OK、OK、Don't Worry (心配しなくていいよ)」みたいなことを言ってた(んだと思う)。

学校から数分歩くと、たどり着いたところは、彼の住家だった。

彼は、ガレージの横にあるドアから、Come, Come, みたいなことを言って、僕を招きいれ、
これが、僕が始めて、本当の外人のみの家庭の家に足を踏み入れた瞬間となった。


家の中は、誰もいないのだが、たしかリビングルームの片隅に、家族写真が一杯貼っており、
それをよーくみると、見たことのある、おばさんの写真があるではないか。

よーく考えてみると、それは、給食時に食堂で働いているおばさんの写真だった。


なにが何なのかよくわからないんだけれど、
きっと、彼の母さんが、学校の食堂で働いているんで、彼だけは、自分の家で昼ごはんを食べてもOKみたいに許可あるのかもしれない、、、、 みたいな解釈で自分を納得させていたと思う。
(結局、その後、本当の理由は聞いた(かつ理解できたのかも)のかもわからないけれど、今となれば、なんで彼だけがそんなことができたのか、よくわからない。




Lyleはキッチンで、「Let's Eat Lunch!」と僕を呼んでいる。


と、思うと、彼はオーブンの中から、アルミフォイルに包まれたプレートを取り出し、そのフォイルを破りだした。

そのプレートには、
たしかメインのおかずに加え、フレンチフライや、野菜の付け合せ、それに小さなパン(コーンブレッド)がついており、
とりあえず、一つのプレートが、日本での弁当みたいな感じになっていた。

(日本の弁当というと、小さな四角い箱のなかに、様々なおかずが詰めあわされているわけだが、そういった意味で、これは、、おかず毎の仕切りはあるけれど、大きな皿一枚、プレートという感じがし、弁当という印象は全くなかった)

彼は、しきりに、「TV Dinner、 TV Dinner!」って言ってるのだが、一体それが何を意味しているのか、その後何年かたたないと、ぼくはわからなかった。


それにしても、日本では、この頃冷凍食品なんてほとんどなかったと記憶してるのだが、(というか、僕の日本の家庭では、いい、わるいは別として、一度も冷凍食品なんか食べたことがなかった)、こんなプレート一つで、数種類のおかずがレンジに入れるだけで、一度に出来るなんて、たとえ僕がその時、小学校6年生であったにしろ、(今でも覚えてるくらい)ショックだった。

それに、このTV-Dinner、結構美味しかった。 (ガキなんでなんでも目新しいものは美味しく感じただけかもしれないけれどね。) 特にコーンブレッドは、パサパサで、今では、そんなに美味しいものとは、思えないが、その時は、世の中にこんなに美味しいパンがあるのかって思ったりした。


結局、時間を気にしながら、食べ終われば、すぐに学校に戻るのだが、
この後も、幾度も、昼食時に小学校を抜け出し、彼の家で昼食を食べることになった。



僕が荒外州に住んでいたのは、日本人のおばさんと、スイス人のおじさんの家であり、

それは、やはり、純粋たる美国人の家庭ではなかったというか、実際かなり、日本臭いところがかなりあった。

しかし、Lyleと仲良くなり、本当の美国人の家庭に触れられるようになったことで、
日本での僕の生活と、初めて比べられるような対象が出来たこと、
また、その違いを毎日感じることができることは、楽しいというか、不思議というか、

初めて、美国に来たんだって、自分自身強く感じるようになった。

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